金沢で公演したのが8月でそのあと、アメリカに行ってまた違った感覚になって、この前の中野さんの芝居に出て、またからだに関して感じるところがあり、また少し変わってきたのかな。
わたしは、ダンスなどならったことがなく、舞踏をはじめてしまったので、内側ばかりでずっとやってきて、外、かたちとかを意識するとなんかわざとらしいとか感じていたね。
それがここ何年かは、外ということを考え出していて、それが金沢の8月くらいまでかな。そして、自分では気づかなかったけど、それもかなりできるようになってきたのかもしれない。
それまでの私は、内側が強すぎるので、むしろ外、形、体をひらくことだけを意識してやるくらいで、やっと客観的にみて、内と外のバランスがよい状態になるかんじだったかな。内側が強すぎたのね、たぶん。その状態って、ある種の人達には、ものすごく強く訴えて、感動してくれるのだけれど、へたをすると、内にこもりすぎだったり、自分でいすぎるように見えるのよね。その時はわからなかったけど。
でも最近はそのバランスが変わってきていて、体をひらくことがかなり、からだに浸透したおかげで、逆にバランスがとりずらくなってきたかな。むしろ今は、内にむかうといい時期になってきたのかも。
体をいじると、その変の微調整がむずかしくなって、混乱したり、気持ちがうまく体に合わなくなったり、覚めちゃうというか。なにがいいのかわからなくなる時期があるね。でもそれをせずにいつも同じからだで、いるなんてつまんないね。その方が安定はするんだろうけど。いつもゆさぶりをかけているくらいでないと。常に逆サイドを同時にやろうとしてる。それには自分のからだに合ったことだけだと、自分にあまくなるね。
同じ踊りでも、それしかできないから、それをやっているんじゃなくて、逆もできるからだを持ちつつ、その踊り方、在りかた、を選んでいる、ということが見えたときのほうが、私は好き。だっていつ裏切られるかわからないもんね。
そういう意味では正直なからだとか、自然って言葉、私らしさ、とかいう言葉にとらわれたくない。
日舞でも歌舞伎でもなんでも、わたくしなんていう自意識はじゃまなんだろう。たぶんバレエとかも同じだろうけど、いまごろその意味がよくわかる。あたりまえのことだけど、いまさら再認識。
私がやっているようなことは、型とか決まりが無いぶん、私(わたくし)という自意識、甘えが入り込む余地が多いのが、危険なところよね。
ダンスはむずかしいなー、、、ダンスじゃないけどさ。
ご無沙汰しています^^
お元気ですか?
ゆきおさんの日記が今の私の考えてる事にかぶって、ドキリとしました。
私が最近めぐり合うダンサーの方々が、私のすごい好きか、すごく苦手とする(私が踊れない)踊り方をしている人が多くて、自分の得意な事は伸ばしつつ、他も学べという事なんだなと思い、苦手分野もガツガツ学んでいます。
そして、1つ1つ出来るようになる度に、1人で超テンションあがってます^^笑
げんきにおどってるみたいね。わたしも試行錯誤しながらやってるよ。
少しでも手がかりがつかめると、うれしいものだね。すぐわかんなくなるけど、、。